「BENZO ESQUISSES 1920~2012」全国巡回のお知らせ

 

 

写真集『BENZO ESQUISSES 1920~2012』の出版を記念して、『BENZO ESQUISSES 1920~2012』展を全国巡回いたします。

現在、日程が確定しております展覧会は以下の通りです。

 

⚫︎東京 Title  2023年8月5日から22日まで

⚫︎福井 わおん書房 2023年10月11日から11月13日まで

⚫︎帯広 マテックプロダクツ・2Fギャラリー 2023年11月25日から12月10日まで

⚫︎つくば 千年一日珈琲焙煎所 2023年12月21日から2024年1月15日まで

⚫︎福岡 月白 2024年1月27日から2月11日まで

⚫︎静岡 Hibari books  2024年2月23日から3月10日まで

⚫︎盛岡 Book nerd 2024年3月23日から4月7日まで

⚫︎北海道・新十津川 新十津川町図書館 2024年5月12日から5月30日まで

⚫︎名古屋 ON READING 2024年6月29日から7月15日まで

⚫︎広島 Readan deat 2024年8月17日から9月1日まで

 

この展覧会では、写真集に収めております写真作品ほか弁造さんが描いたエスキースの原画も併せて展示いたします。

弁造さんの庭の光と影のなかで佇むエスキースの写真と、弁造さんがその手で筆を走らせた原画。このふたつが響きあう世界をご覧いただけますと幸いです。

各展覧会会場では、短い時間ですが在廊を予定しております。皆様にお会いできるひと時を楽しみにしています。

 

また、今回は以下のような思いで、弁造さんのエスキースも販売することにいたしました。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

弁造さんのエスキース販売について

 

ひとつの思いがあって、弁造さんのエスキースを販売することにしました。

2012年の4月に弁造さんが亡くなり、僕は弁造さんのエスキースを僕が暮らす岩手に持ち帰りました。生前、弁造さんはその絵について、「わしが死んだら燃すなり好きなようにすりゃあいい」と軽く言い放っていました。それは「死んだら無になる」が信条の弁造さんにとっての本心だったと思います。実際、弁造さんは死後、自分が暮らした丸太小屋と納屋を解体するための費用を残していました。弁造さんは、自分の死とともに絵も無にかえそうと計画していたのです。僕もその当時はそれが弁造さんらしい判断だと感じていました。

しかし、弁造さんが実際に亡くなってしまうと、僕は弁造さんのエスキース、手書きの手紙、メモといった弁造さんの存在を強く宿すものをかき集め、持ち帰ることにしました。『庭とエスキース』にも綴りましたが理由は、弁造さんの記憶を宿す物のすべてが無くってしまえば、弁造さんが存在したという事実さえも失われる気がしたからです。

以来、僕はずっと弁造さんのエスキースとともに生きてきました。おかげで、僕は弁造さんが愛した絵の世界を常に感じながら生活することができました。それは、この胸の奥から弁造さんのあの甲高く人懐っこい声が聞こえてくるような、そんな日々でした。

一方、心配もありました。それは僕が死んでしまったら、このエスキースたちはゴミになってしまうのだろうなという簡単に想像できる未来でした。すべてのもの、すべての存在が消えてなくなると考えれば、それはそれでいいのだろうという思いもないわけではありません。しかし、画家としては全くの無名で逝ってしまった弁造さんのエスキースが死後もこうして僕の手元に残り、しかもいくつもの幸運が重なって「弁造さん」という存在が多くの方々が愛されるようになった今であれば、さらなる幸運も夢見ることができるのではないかと思うようにもなりました。

ずっと、「弁造さん」は僕の弁造さんでした。しかし、僕が不思議な縁で巡り合うことができた「弁造さんの生きることを見つめた日々」を写真や言葉で表現していく過程で、「弁造さん」は「みんなの弁造さん」になっていきました。この奇跡(僕はいまだにそう思います)を思うと、弁造さんが遺したエスキースも「みんなのエスキース」になることができるのではないか、そう考えるようになっていったのです。

そして、たどり着いたのが、今回上梓する『BENZO ESQUISSES 1920-2012』を機に僕は弁造さんのエスキースを手放そうという決心でした。と同時に、誰かが弁造さんの記憶が宿るエスキースを大切に思い、暮らしのなかに迎え入れてくれたらと願いました。無名の画家が描いたエスキースの価値など、もしかしたら落書き同然なのかもしれません。しかし、弁造さんの生きることに共感する方々が、弁造さんのエスキースとともに新しい日々を歩んでいくという未来を想像すると、「他者と出会うこと」が秘められた不思議な力を僕は覚えます。

今、友人の木工作家に弁造さんが板に描いた油絵を収めるオリジナル・フレームの製作を依頼しています。弁造さんが描いた女性たちは、木の香りのする美しいフレームに飾られて、どのような人に出会うのでしょうか。エスキースの女性たちが新しい家で目を輝かせるその光景を僕が見ることはきっと叶わないでしょう。しかし、それを想像することで、僕は胸の内に存在している弁造さんに今日も語り掛けることができると思うのです。

奥山淳志